岐阜県輪之内町 〜輪中が息づく平らな町〜

#01

水の流れが語る
今昔物語

化探訪コラム

十連坊輪中堤に見えた過去の日常生活

川の上流部から散策を開始すると、まず目にとまるのが十連坊輪中堤。町の最北部にある江戸時代以前からの、いわゆる「輪中堤」です。今からわずか130年ほど前、この堤防は現在の町域をぐるっと囲んで福束輪中を形成したと言います。その頃、この堤防の上に立って北の方角を眺めたならば、そこは東西に長く渡ってヨシやアシが一面に生い茂る空間が横たわり、その向こう側に中村輪中という人が暮らす小さな「川中島」が見えたはずです。そして、ひとたび大雨が降れば、2つの輪中の間にあるヨシ原は幅数十メートルの川なって、ゴウゴウと水が流れ落ちました。その水を喰い止めていたのが、この十連坊輪中堤でした。

現在、輪中堤の周辺部は植樹された桜やあじさいが四季を彩る美しい空間を演出されている、そこのあった過去の姿を微塵も感じません。その一方で年に1回の地元消防団員による災害訓練は続けられており、水に囲まれた地域で暮らす人々の古からの水防文化を大切にする想いが今も受け継がれていることを感じさせます。

十連坊輪中堤切割
十連坊輪中堤切割

水不足を救った福束揚水機場

散策を続けると見えてきたのは福束輪中。一見、川に囲まれて水に恵まれているかに感じられる輪之内町ではありますが、川の氾濫から町を守る堤防に取水のための穴を開けることができなかったため、実は飲み水や農業用水は、輪中内にある井戸から得られるものに限られていたのです。

明治期には大規模な木曽三川の工事が行われ、長良川、揖斐川の水量が減り、洪水被害が激減することになるのですが、それと同時に福束輪中内では彫り抜き井戸の水量も激減し、毎年のように干ばつに苦しめられるようになります。その干ばつが解消されるのはなんと昭和27年。この年に福束揚水機場が完成したことで、「川の中の水不足状態」は終結します。

現在、福束揚水機による取水は毎年5月に実施されます。取水された毎秒26トンの水は、網の目のように張り巡らされた水路を伝って輪中内に供給され、約2日ほどで全ての水田を満たします。田植えから刈り取り前にかけての輪之内の水田の特徴のひとつに「いつ来ても、あふれんばかりの水が流れる用水路」がありますが、その水が流れるまでには、いくつもの苦難があったと思うと風景もまた違って見えてきます。

福束揚水機場
福束揚水機場

大水から命を救った水屋と助命木

先人たちの知恵と努力の結晶である輪中堤も、水の猛威に破られることは度々でした。輪之内の歴史を調べると、江戸時代265年の間における洪水発生回数は少なくとも25回。人生50年としても度々大洪水の被害を受けていたわけですから、輪中堤に囲まれた生活は、現代の生活と全く違う危機感の中にあった事は容易に想像できます。

洪水被害が発生した場合、人命に直接被害が及ぶことはもちろん、家財道具は流され、水稲も食物も井戸水もあらゆるものが水底に沈むことになります。水が引くまでには何日間もかかるために衛生状態は悪化し、伝染病の発生につながるなど大変な被害も度々でした。

そこで、輪中内に住む人々の自衛策として「水屋」なるものをつくり、少しでも平地より屋敷の敷地を高くする努力がなされました。今でも高さ数mの高石垣を備える家が散見されるのは、水深5m以上に達する水害に10年に1回の頻度で見舞われた地としては当然だったかも知れません。

水屋
水屋

ただし、水屋は比較的裕福な家に限られたものでした。一般的に利用されたのは「助命木」と呼ばれるものです。助命木は神社内の地面が少し高くなった丘にある大木です。大水の際に人々は神社の高台に逃げ、いよいよとなった場合には助命木をよじ登って水から逃れたというんですから、大水がいかに深刻なものであったかということがうかがえます。

さらに、輪之内の各家庭には「上げ舟」と呼ばれる避難用の舟も常備されており、実際にこれらの備えによって一命を取り留めた人たちの伝承は、町の中のいたるところで、今日でも耳にすることが出来ます。

椋の木(神明神社)
椋の木(神明神社)

役目を終えた四間樋門と輪中堤の風景に

今の輪之内町を散策すると、そのゆったりとした風景に、壮絶な人間と川の戦いがあったことをついつい忘れてしまいます。しかし、治水技術の向上により役目を終えた四間樋門や撤去されて今はない数多くの輪中堤がたしかに必要な時代があったのです。その証拠として、かつて水門があった場所にかかる橋が往時の名をとどめ、どの場所に輪中堤があったかを教えてくれるランドマークになっています。

輪之内町ののどかな風景に、昔あった風景と人々の想いを重ねてみると、また違った輪之内町の姿が見えてきます。この小さな町の過去の風景に想いを馳せながら歩く川沿い。昼頃に歩き始めたはずなのに、気づけば太陽が輪中堤に少し隠れかけていました。

四間樋橋
四間樋橋

探訪コース 水と人の歴史を感じながら
川沿いをゆったりと散策

今はのどかな田園と川が広がる輪之内町ですが、昔は川の中に島があって、その中で人々が生活していたなんてことを思うと、また違った風景に見えてきます。散策ルートの随所には、水と戦ってきた人々の跡がたくさんあるので、そのようなものも探しながら散策してみるのがおすすめです。

所要時間:2時間

シーズン:春~秋

文化財数:10個