里の旧多良街道にある橋で、現在はコンクリートの橋になっている。1600年の関ヶ原合戦の時、福束城丸毛兼利は石田三成の西軍に味方して、大垣城の南のまもりをかためました。東軍(今尾城主)と西軍が大榑川をはさんでにらみ合っていましたが、西軍が十連坊村他に火をはなって攻め立てたので福束城が危うくなりました。その時、楡俣の住人が西軍の丸毛氏を応援にこの橋まで来ました。ここで残念にも「福束城は落ちた」という報をうけました。そこで彼は「せっかく応援にここまで来たのに、落城とは残念だ。これからどうしたものだろう。どこへ行こうか」と思案しました。これを聞いた土地の人達がこの橋を「どこの橋」と呼ぶようになったといいます。
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