宝暦年間の治水工事に死没した薩摩小山田住八郎左衛門の墓としてすでに昭和17年3月21日県史跡として指定を受けたことがあるが、終戦後改めて申請して昭和34年3月10日県史跡として指定を受けた。姓がなくて、ただ八郎左衛門とあるのはおそらく下人であろう。自刃したのか病死したのか何の言い伝えもないが、おそらく病気で斃れたのであろう。しかし、薩摩藩としては、義士の一人として心厳院に対し見事な香籠を送り、義士の墓として参拝されたこともあるという。よって毎年薩摩義士顕彰会で慰霊祭を執行している。
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