昭和24年4月、輪之内中学校建築の際、敷地の盛土採取のため掘り下げていたところ、地下2mのところから相当数の弥生式土器と土師器が発見された。中には、約30cmの台付壺形土器は、ほとんど完全な形で出土した。なお、名古屋大学考古学教室澄田教授によると弥生式後期から古墳時代前期に属するもので、今から約1600年から1700年も前のものであった。破片の摩滅の状態や同じ場所から端の焼かれた丸木も出土して、既に人がここに居を構えて生活していたことが想像され、この水郷地帯にも住民がいたことを証明する貴重な資料である。また、この土器は洪水の時、上流部からの流出土器ではないかと考えられたが、流出の時にできる摩滅の痕跡がみられないことから、「四郷遺跡」として県下で最も南限の所として認められた。

この出土地は、予想もしていなかったところであり、世間の注目を集めた。爾来「四郷遺跡」と呼ばれる。しかし、残念なことは、出土状況を知り得る調査記録がないことである。現在、「四郷遺跡」から発掘された土器は、「町民俗資料館」に保存されている。