寛文3年(1663年)、名古屋の町医者の山内承玄が柿内・海松村の北の草地を買い、新田開発を行った。同5年に完成し、検地を受け新田高は593石余(48町歩)となった。
この工事は、開発者山内家が堤防と排水路・圦樋を築き、囲いこまれた土地を入作者が開墾するという形で進められた。この新田開発後、寛文10年(1670年)に開墾地に多く自生していた柳の木を神木として、開拓者の山内承玄他12名が願主となり、この地に神明神社を創建し、村の繁栄を祈願した。棟札には、願主山内承玄の他、小池、神田、三輪、加藤、大橋、鈴木、中野、里宮、菱田、掘田、中島、山本の姓名が見える。棟札は開発を裏付ける具体的資料である。

神明神社(大吉新田)の社殿に残る創建時の棟札に、この地の開拓者及び入作者12名(氏名入り)が願主として記されており、開発をうらづける具体的史料として貴重である。