本郷の水神様祭は、200年も前から続いているといわれている。大槫川は、洗堰が完成してから川の流れが少しずつ変わり、毎年出水ごとに淵が深くなって子どもの水難が続いた。それを心配した村の人たちは、遠州(浜松)から弁天様をお迎えするのがよいという地元の八幡様のお告げがありお祀りした。

福善寺の南(大槫川川沿い)に水天宮と刻んだ石柱の上に小さな社がお祀りしてある。10月の祭りの夜、三間船三艘で船山をつくって浮かべ大小60余の紅提灯を飾り、村の役人十数人が乗り込み、笛と太鼓で囃子ながら八幡様と水天宮の間200m渡り祭りが終わる。このとき水難者の霊を弔うため108個の灯籠を流す。しかし、7~8年前から祭りが簡素化され、船から自動車へとかわってきた。