岐阜県輪之内町 〜輪中が息づく平らな町〜

HERITAGE 輪之内文化財

化財紹介

災害のたびに名を変え、教育の場であり続けた学校

騶虞学校校名横額は、現在仁木小学校の校長室に掲げてある。騶虞学校は、明治6年5月15日、大吉新田、松内、海松新田村が連合して、松内村の福善寺を借り、開校した。明治10年、いろいろな事情により、大吉新田の山本信氏の家を購入し移り、さらに、明治13年に大吉新田の新左地に校舎を新築して移った。

しかし、明治24年10月の濃尾大震災で校舎が倒壊したため、翌25年1月、海松新田の一民家を借り校舎とした。明治27年日清戦役中、海松新田、大吉新田、松内、下大榑新田、下大槫の五か村が組合で、海松新田・大槫川堤上に壮麗な一大校舎を新築。明治28年10月7日、海松尋常小学校と改称した。

明治29年7月、9月の水害は、古来未曾有のもので、家屋の崩壊・流失・人畜の死傷、あるいは田畑の荒廃はおびたたしいものであった。しかし、海松小学校は大槫川の堤上にあったため、校庭まで浸水してきたが、校舎は無事で、そのための避難所となった。やがて、世運の進歩と教育上の必要によって、海松、崇文の二尋常小学校が合併し、高等科を併置しようとの議がおこり、明治36年5月16日 、高等科を併置して、仁木尋常高等小学校と改めた。

騶虞学校の校名の由来は霊獣の名、詩経毛伝に「義獣なり、白質にして黒文
生物を食わず至信の徳あれば即ちこれに応ず」とある。

所在地
岐阜県安八郡輪之内町海松新田827(仁木小学校 )
時代
明治26年6月