江戸時代の俳聖、松尾芭蕉(蕉門)の高弟、谷木因(大垣市)やその流れをくむ各務支考など美濃派の誕生と成長により西濃地方にも俳諧が広まった。この奉納額についての確かな伝承や記録は見つからないが、撰者が大垣城下の人で、町内をはじめ、安八町、平田町、海津町、大垣市等からの参加者がみられ、当町地方にも俳句の同好者が多数いたことがうかがえる。又、俳句の内容も(12月)に合った自然や生活を中心にうたわれたものが多く、当時、俳諧が盛んであったことを示す具体的資料として重要である。