東大藪の水神神社の境内に「大神宮 村内安全 安政丙辰(三)年九月仝日」と刻まれた燈明台が建っている。もともとは東大藪の堤防の上に建てられていたものであるが、長良川改修のために、今の場所に移された。村人は、この燈明台を黒船燈台として、大切にしてきた。嘉永六年(1853)6月3日、アメリカ大統領の親書を持ったペリ-が軍艦四隻をひきいて浦賀に入港した。幕府体制三百年の夢は破れて、世の中は一大非常時に直面していた。その騒ぎの波は、私たちのすんでいる田舎にまで押し寄せてきたのだった。大藪地区の人々はこの時局打開のために、堤防上に燈明台を築いた。それゆえに黒船燈台と呼んでいる。
ところで、黒船燈台には、大きな仕事がかけられていた。この東大藪の渡船場は、堀津や竹鼻へいく人にとっては、とても大切な交通機関で、今のように橋もかけられていない時代にとってはなおさらだった。この渡船は夜でも渡りたいという人がいれば、必ず船をだしてくれた。また、冬の午後5時は、もう暗くなっている。そんなとき、船頭が頼みにするものは、何もないので。そこに燈明台を建てて、その明かりを目標にして船を出していた。対岸の堀津にもやはり燈明が堤防の上に建てられていたようだ。
村人は、毎年9月17日に、船の無事を感謝し、これからも安全に渡れるようにと祈願し、お燈明祭りをおこなってきた。昔は、村の太鼓を二台出し、大きなやぐらを築き、にぎやかに、お踊りをしたものである。また。船に乗って対岸の堀津からも大勢の人が踊りに加わった。今でも、祭りは続いていて、お燈明祭りが近づくと、太鼓の音が響きだす。