薩摩藩による宝暦4~5年(1754~1755)のお手伝い普請は、一之手から四之手まで、大きく四つの工区に分けて進められた。 墨俣輪中より本阿弥輪中までが三之手の工区で出張小屋 は大藪の庄屋渡辺勘右衛門の屋敷に置かれた。「お手伝い御普請御用留」に「坪数1515坪(約5000㎡)出小屋一ヶ所、これは勘右衛門屋敷并居宅添屋共、御手伝方役人相対を以 借 請申候」とある。

現在、その一区画(約170㎡)が町に寄進され、戦没者の墓地となっている。大榑川洗堰など薩摩藩による宝暦治水工事は、輪之内地方の治水に大きな恩恵をもたらした。しか
も、その工事に従事した薩摩藩士の拠点である「三之手出張小屋」の跡地は歴史的にも貴重である。