福束城祉は明治の揖斐川改修工事で河道になりその位置は定かではない。福満寺所蔵の版木は、寛政4年(1792年)福束城主丸毛家の縁のある丸毛肥後守が福満寺の境内の様子を桜の板に刻み、寄付したものである。図柄は、中央に福満寺の本堂を画き、左に丸毛兵庫頭の墓、右に鎮守佐々木大神宮、その上方に 丸毛兵庫頭鉾塚城古跡と記し石垣が組まれている。版画の左に丸毛家の境内が城を築き、福束城跡は先祖菩提の霊場となったと記している。版木彫刻のとき、境内にまだ城跡が残っていたのであろう。寄進者は、江戸の住人で丸毛氏の後裔である。この版木は両版とあるので以前にも寄付していたはずである。