中郷の願正寺の境内の東南に、薬師如来を祀った小さなお堂がある。この薬師堂には、円空作の薬師像が安置されている。天明9年(1789)の村明細書上帳には、「薬師堂境内、四間四間一六歩、寛永13(1636)年」より当村に安置仕候」とある。これをみると、以前は他所にお堂があったことになる。古老の聞き伝えによると願正寺の北西200メ-トル位の畑地に薬師寺の跡地だという小高い所が残っており、薬師道と呼ばれる道もあったという。このお道は、明治の初めころ、住職の死によって願正寺内に移された。
しかし、薬師寺の創建年代の古さを証明する思わぬ発見が昭和30年代の初頭に、地内の畑から出土したのである。それは宝 筐 印 塔の塔身であった。その塔身には次の文字が刻まれていた。「為薬師寺開山椿公大年所奉造立也 貞治四年乙巳、四月二四日」書いてあることは、薬師寺開山椿公大年のために造立し奉る所なり。貞治4(1365)年きのと、み四月二十四日」とよめる。塔身に刻まれた銘文の意味は、薬師寺という寺を開いた椿公大年という人のために造ったもので、宝筐印塔を建てた年月は、今から約645年前の貞治4年きのと・みの歳4月24日のことだという。つまり、宝筐印塔は、鎌倉以降供養塔・墓碑塔として形が整えられた石塔である。銘文の刻まれた部分は、中央部の塔身にあたる。この塔身の大きさから宝筐印塔は、約四尺ぐらいのものと思われる。